生きる喜び
昨日Japanese festival でよさこいを見た
よさこいを見たくて行って、やっぱり感動した
なんてゆーか、いろんな国の人が踊ってて、髪の色も、肌の色も、目の色も、言葉も違う人たちがもう思いのままに全身で自分を表現してて
なんてゆーかなーもうみんな楽しい!!の一言で、魂の喜びを直で感じて、心が震えたんだよね
私も思いっきり顔をくしゃくしゃにして笑ってるのに涙流してた
なんかすごく嬉しくて、生きてる!って感じがして、存在の喜びを感じたんだ
全生命力を振り絞って、全力で全身で存在してることへの喜びを表現してる
私はそう感じて心から感動したんだ
そこには何のルールもなくて、ただそれを楽しむ=ただ生きることを楽しむ、それだけだったんだよね
そこにはルールだけじゃない、なんの比較も、区別もなかった
みんな同じただの存在だった
みんなが一つの存在だった
ああ、私ってこんなにも全力で生きてたかなあ?こんなにも全力で喜びを表現してたかなあ?そう思った
と同時に、私も全力で何かしたい!
全力で生きる喜びを表現したい!って力強く思った
そして、何もダンスだけじゃない
声だってそう、歌うことだって存在の喜びを表現してる
文章を書くことだってそう
全ての行為がそうなんだってなんかこう腑に落ちたんだよね
わざわざなにかをするわけでもなくても、すでに存在の喜びを表現してるんだって
あと、存在としての喜び=全ての感情なんだけど、それも腑に落ちた
どこかで喜び=楽しいこと、楽しむことって決めつけてた
でもどんな感情でも全ては存在の喜び
苦しいことを存在の喜び
それを全力でやっているかどうか
本当そうだと思った
中途半端に苦しいから、しんどいから何かに逃げる
アルコール、カフェイン、買い物、おしゃべり、食事
それらに逃げてる間は魂の喜びを感じられない
だからいくら頑張ってもどこか虚しさが起こる
その虚しさも感じきってない
私にはそれがある
辛くなったら気晴らしにコーヒー飲んでみたり、甘いもの食べてみたり、買い物に行ってみたり、友達としゃべってみたり
でもそれで気がまぎれるのはほんの一瞬
また元に戻るのはいつものこと
本気の本気では感じないから、それはずっと出てくる
わたしは感じることから逃げているだけ
自分で自分を生きることから逃げているだけ
私には直視しなければならないことがたくさんある
それにももう気づいてる
私の心はちゃんとそれに気づいている
気づいていないふりをしているのは、私の思考だけ
もうその時は来てる
対峙しなければいけない
私はそれを望んでいるんでしょう?
何を怖がっている?
何をためらっている?
言い訳なら山ほどある
好きなだけ言えばいい
好きなだけ逃げればいい
でも一生そこから逃げられないことはわかっているはずだ
向き合うしかない
それももう深層心理では解決の方向へ向かっている
それはもうわかっているはずだ
夢で見ただろう?
お前は一人じゃない
だが、そこで立ち止まり続ければお前は一人も同然だ
わかるな?
とりかかれ、今すぐにだ