本当の自分を知るためのつぶやきブログ

内なる声、意識に耳を傾け、内的探究に勤しむ人間。真実を探るために想いの全てをつぶやいてます

甘え?依存?そこから出た答え

なんでこんなに正解を求めるんだろう?
なんでこんなに答えが欲しいんだろう?
なんでこんなに合ってるっていう保証がほしいんだろう?
なんでこんなに間違うことが怖いんだろう?
なんでこんなに人と違うことを怖れるんだろう?
なんでこんなに誰かと同じだと安心するんだろう?
なんでこんなに誰かと同じにしようとするんだろう?
なんで自分の感覚を無視するんだろう?
なんで自分の感覚に100パーセント自信が持てないんだろう?

誰かと違うと間違ってるって思う
間違ってると私がダメなんだって思う
間違ってると私が直さなきゃって思う
なんで?なんで?なんで?
なんでいつも他人が正しいと思うの?
なんでいつも自分は間違ってると決めつけるの?
みんなそれぞれが正しいっていう結論にはならないの?
なんで?なんで?
それはなんでなの?
誰かが合ってたら、その人と意見が違う場合、私は間違ってるって思っちゃう
それはなんで?
答えは一つだと思ってるから
正解は一つだって思ってるから
だから数学が好きだった
答えがはっきり決まってて、必ずそれがわかれば正解だってわかったから
そうじゃなければ間違ってて、何回も何回もやり直した
正解するまでやり直した
でも果たしてそれは正しいやり方なの?
国語は凄く苦手だった
答えが一つじゃないからだ
いくつもあるも何が答えかわからなくなる
なにか正しいかわからなくなる
何を選べばいいかわからなくなる
自分の思った通りに書くのも苦手だった
読書感想文とかも
何を書いたらいいのかわからない
うまくかけない
どう書いたらいいのかもわからない
何が正解かもわからない
何が基準なのかもわからない
曖昧なものが苦手だった
ずっとはっきりしているものが好きだった
でもそれはなんで?
本当は自分が曖昧な存在だからじゃないの?
正誤で判断できるものじゃなく、善悪で判断できるものでもなく、それらの全てをひっくるめた存在が自分だから
どっちかに決められないのが本当の私だから
それを受け入れたくないから、苦手だって思い込んでたんじゃないの?
あなたは小さい頃、あなたの思いを貫いてた
周りが何をしていても、あなたはあなたのやりたいようにやってた
それが本当のあなたじゃないの?
その頃のあなたはどこへ行ったの?

 

間違えればさんざんやり直され、正解が身につくまで教えられる
本当はそれが嫌だったんじゃないの?


こんなんじゃない
こんなんじゃない
私が感じてるのはこんなんじゃない
体が小刻みに震えてる
私は何を感じてる、、??

私は国語が嫌いだった
思ったように書いても、理由もわからずバツを付けられ、読書感想文や遠足の感想文も思いのままに長文で書いたら、こんなに長く書かなくていいよ、もっと短くていいよ、学校から家に帰るまでのことはかかなくていいよって書かれてて、
え、なんで?なんでなの?
何書いてもいいんだよね?
なんで否定するの?
なんで受け入れてくれないの?
なんで褒めてくれないの?
なんでたくさん書いてえらいねって褒めてくれないの?
感想文ってその範囲に収まることしか書いちゃいけないの?
その範囲を超えたらもういけないの?
なんで?なんで?なんでなの?

もう私は全てを否定されたように感じてた
自由に書いていいはずのものが、自由に書いたら注意された
暗黙のルールというものが存在した
そのルールを守らなければ注意されるんだ
そのルールを守らないといけないんだ。。。

だからそうだ、無意識のうちに、その暗黙のルールのようなものを探しているんだ
そしてそれに自分を当てはめようとしているんだ
自分より偉いと思ってる人がいう、暗黙のルールのようなものに、それに沿うことで安心を得ようとしているんだ

でも実際に、アドバイスになることもたくんある
そのおかげで助けてもらうこともすごくたくさんある
そのおかげで見えてくることもある
でもずっとそれを求めることは甘えになるの?
それが今わからない
甘えてもいい
でもそれを、できてるかできてないかを最終的に決めるのは私
そこさえ渡さなければいい
わからないことは聞けばいい
違うと思えば捨てればいい
そのすべての決断を自分がやる
ただそれだけのこと
あなたができてると決めない限り、何も進まない

甘えと依存の境界がわからない
助けてもらうのに甘えて、それがいつのまにか依存に変わってはいないか?
そもそも依存は良くないことなのか?

あーなんかここまできてわかった
依存が良くないって思ってる
まだここで正誤判断してる
なんでなんだろう?
なんで依存が良くないって思ってるんだろう?

依存してるやつはクズ
自分の力でなんもできないやつ
いわば寄生虫
なにかに依存しないと生きていけないなんてクズ
自立もできないダメなやつ

あーーもうこれなんだ
自立しないやつはダメ
依存がしてるやつはクズだって見下してる
でもほんとは私だって一人じゃなんもできない
夫がいないと生きていけないし、
同胞さんがいないとダートゲートも進めない
一人じゃなにもできないんだよ
そういう自分を棚に上げて、私は誰もいなくても生きていけるんだもんってやってんだよな
夫がいないと娘がいないと寂しくて死んじゃうし、
同胞さんがいないと、深く潜ることもできない
ほんとは一人じゃなにもできないんだ
私はほんとは周りの存在に依存して生きているんだ
その事実をずっと認めようとしなかったんだ
私は周りの人に依存してて、その全ての人に助けてもらってる
それは逆も言えるのかもしれない
私もそうやって誰かを助けているのかもしれない
私はもうずっとずっと依存してきたんだ
でもなんかそれを認めてしまったら、もうそろそろ自立しようって思った
依存関係はもう終わり
新たな関係性を構築するときがきたんだ
それが自立するということ
ちゃんと自分の足で立って、自分で決めていく
依存した関係ではなく、自立した関係で、互いを照らし合い、浮き上がらせていく
そして自立の光を、自分を強く放つことで、新たな存在を感じる
そうだ、そういうことなんだな
今すごくハマった

今まで感じてなかったソフィの存在を感じ始めている
なにかはわからないんだけど、それがソフィだってことはわかった
やっとそこにいることが感じ取れた