本当の自分を知るためのつぶやきブログ

内なる声、意識に耳を傾け、内的探究に勤しむ人間。真実を探るために想いの全てをつぶやいてます

被害者面の裏に隠してきた本当の感情

私はずっと周りを妬んでいた

それもずっと悲しみというベールで覆い隠し、私は悪くないという思いを持ち続け、

私の中に存在する妬みを否定し続けていた

羨ましいという思いと共に、妬ましいという思いを潜ませていた。

なんであの人にだけ?私にはないの?

どうして?おかしいよね?

なんでなの?

私にはその価値がないっていうの?

信じられない!

私だって頑張ってるのに!

なんであの人ばっかり!!

 

私だって頑張ってるのに、、、、

これだ。。。

頑張りに対する評価をもらえないことへの怒り、悲しみ、憤り

あの人は頑張ってきたんだし、私より何倍も何十倍も苦しんでる、努力してる

そうやって私がもらえない分を正当化してきた

でもそうじゃない

誰かと比較する必要なんてないし、

自分がやってきたことへの評価を他人に任せる必要もない

なぜ自分の評価を他人軸で決めようとする?

自分の判断に自信がないのか?

私の判断は間違っているというのか?

それは誰の判断だ?

そして間違っているからと言ってそれがどうしたというんだ?

私はなぜ私の価値を他人に決めさす?

私の価値は私にしか決められない

私の価値を他人に決めさすことで、私は私に向き合うことから逃れている

私の価値が低いのは、私のせいではない

私の責任ではない

そう決めた他人の責任である

私はそうではない、私は価値のある人間だ

そう言い続けることによって、私は自分の責任から逃げてきた

そうやって悪を他人に押し付けることによって、私は被害者面をし、

私は何も悪くないんだから、私は何の責任も取る必要はない

そう思い続けてきた

そして、その代わり、自由を失っていた

 

私は自由を求めていながら、私の感情に全責任をとる、ということから逃げていた

そしてあれは嫌だ、これは嫌だ、苦しい苦しいと言い続けていた

 

私が持っている否定的な感情に向き合いもしないで、

その感情に責任を取ることもしないで、他人に擦り付けるばかりで

私は何も悪くないと被害者面を通し続けて

私は価値のある人間だ、

そう表面的に思い続けて、

それを評価されないのはおかしい、

あいつが間違っている

そうやって他人を批判し続けて

 

誰かのせいにするのはもうやめよう

もうここでやめにしよう

誰かのことを妬んでいるのも私

誰かのことを羨んでいるのも私

誰かのことを恨んでいるのも私

 

妬み、嫉み、羨み、恨み、妬んでいることをばれないように必死こいて平然を装っていること、憤り、かっこ悪いこと全部

私が抱えている感情

だから何?

 

悲しみ、苦しみ、醜さ、汚らしさ、気持ち悪さ、、、

それらを持っている化け物であることは認識していたけれど、

さらに妬み、嫉み、ひがみ、恨み、憤り、、、

そういうねちねちした、どろどろした、一度くっついたら二度と取れないような、

二度と離れないような、そんな腐った感情、どんどん腐敗を拡大させていくような、

ヘドロのような感情、、、

それらを持っているぐちゃぐちゃでねっとりとして、ヘドロのような、ゲロのような、

臭くて、腐って、汚物のような、触りたくない、近づきたくない、見たくもない、隔離してどこにも誰からも目に入らないようにしたい、存在自体を消し去ることさえ望まれて、存在することさえ許されないような、、、、

私はそんな存在だったんだ。。。。。

 

もう何もない

空っぽでしかない

私という存在はない

私という存在は無でしかない

 

 

?????

 

 

 

???????

 

 

 

私という存在は無でしかない??

 

私という存在は無でしかない??

 

無=全て、、、

 

私という存在は無であると同時に、全てなんじゃないのか、、、

私という存在は、無でありながら、全てを表しているのでは、、??

 

なんだこの感じ。。

さらに不動の何かを感じる。。。

私自身の存在をより強く感じるような。。。

そんな感覚。。。