本当の自分を知るためのつぶやきブログ

内なる声、意識に耳を傾け、内的探究に勤しむ人間。真実を探るために想いの全てをつぶやいてます

愛情飢餓2

私は強欲な愛情飢餓を持っている

娘に対してイライラしたとき、それはすごい勢いで発揮される

私の思い通りにいかないとき、ものすごくイライラする

なんで言うこと聞かないの!?

なんであんたばっかりなん!?

ええ加減にしてよな

なんなん!?

一体なんなん!?

どこまで私を困らせたら気がすむん!?

限界の私は娘を置いて家を出る

玄関を出た時点で娘の泣き声は限界に達し、咽び泣き続ける

そして私の存在を心から欲する

そう、私はそれが見たいのだ

心から私を欲する、その心からの叫びを、私は見たいのだ

それは私が強欲な愛情飢餓を抱えていることを示す

私が愛情飢餓を抱えているから、娘にでさえも、私がいないと生きていけない、ママ〜!ママ〜!と咽び泣く姿を要求する

そこでようやく私の愛情飢餓が一旦満たされる

私を必要とする姿が見たい

咽び泣き、苦しんででも私を欲する姿に、私は満たされる

異常なのはわかっている

 

私は娘に何度も何度も愛情確認をする

ママはいっぱい〇〇のことが大好きだよー!

〇〇もいっぱいママのこと大好きだよー!

これはいつものこと

それが得られなければ、

〇〇はママのこといっぱい好きー?

と聞く

ママのこといっぱいいっぱい大好きだよー!という回答が得られるまで続く

私は娘に愛情を与えているように見せて、私が愛情をもらうことをずっと考えている

そして言葉にして得ることを望む

私の愛情飢餓が度を超えると、必死の態度としてのそれを望む

私が望んでも望んでももらえなかった母からの愛情を、娘からもらうことで満たされようとしている

 

私は一度、咽び泣き、泣いて泣いて泣き喚いて、マンションに響き渡るほど大声で泣き喚いて、母が仕事に行くのに逆らったことがある

でもそれは叶わなかった

母はひたすらに困るだけで、結局私を振り払って仕事に行ってしまった

家ではなく、エレベーターの前で泣き叫ぶ我が子を置いていったのだ

私はもう愕然とした

そんなに仕事が大事なのか

そんなに私が鬱陶しいのか

そんなに私が邪魔なのか

私は邪魔でしかないのか、と

それ以来私は求めなくなった

どんなに泣いて泣き叫んでも、泣き喚いても、嗚咽を繰り返すほど泣き叫んでも、母は私を抱きしめてくれないのだから

母は私を置いていってしまうのだから

 

ほんの少しでいいから抱きしめてほしかった

今日だけでいいから、私と一緒にいてほしかった

落ち着くまででいいから、私と一緒にいてほしかった

ほんとはお母さんに甘えたかった

でも素直になれなかった

もっとちゃんと言葉にして言えばよかった

お母さんを困らせたいわけじゃない

でも、一番に私のことだけを考えてほしかった

その時母は、仕事のことしか頭になかった

 

でももし、その状況を自ら望んで創造したのだとしたら?

何度も言っても聞かない子を置いていくのは誰?

子供だからって被害者ぶってるのは誰?

あのときのお母さんの気持ちを考えられなかったのは誰?

 

全て私だ

 

お母さんは私のために働いてくれているのに、今この時を一緒にいたいせいで困らせた

いや、こんなんじゃない

もっと奥に、もっと深いところに隠してることがある

なんで出てこない?

それは何?

ぶつかってきてほしかった

もっと本音で話してほしかった

困った顔をせずに、怒ってほしかった

怒り狂うほどの愛がほしかった

そう、そうなんだ

ほんとはもっともっと、怒り狂うほどの、全てを失ったとしても、私だけが欲しい!!!!!

そういう姿を見たかったんだ!!!!

そして、そういう強欲な愛情飢餓をさらに生成するために、自らその状況を創造した

私の強欲であさましくて、醜くて見ていられないほどの愛情飢餓を生成するために、私は幼い頃を生きてきた

その気持ち悪いほどの愛情飢餓は、全ての存在から忌み嫌われ、同時に全ての惹きつける、どろどろで魅惑的なエネルギーを発する、私の最高であり最低の自己のエネルギーの源、根っこなのだ

そして、そんな方法では私が求めるほどの全ての究極の愛は手に入らないという経験で、私の自己顕示欲はさらに生成されていった

ただ泣き叫び、喚くだけじゃない

愛情飢餓をベースにした自己顕示欲を

私はそれさえも自分で生成していた

私はそれさえも自分発信で生成していた

本当に全ては私が創造している

誰のせいでもなく、全てが私自身の責任で